2010年8月15日日曜日

終戦記念日によせて 〜語り継ぐこと〜

 

終戦記念日である。

戦後65年。当時を生きた時代の証人も、だんだん少なくなってきている。自分も含めて、戦争というものを肌感覚で、リアルに知らない人がほとんどの社会になってきた。

同世代と比較すると私の両親はかなり歳が上で、親父は昭和3年、おふくろは昭和7年生まれ。戦争と昭和をリアルタイムで生きてきた。小さい頃、昔話や本の読み聞かせに混じって、おふくろから当時の話をよく聞かされた。

3月10日の東京大空襲。実家の南千住から巣鴨に疎開していて難を逃れたが、その日の夜は灯火管制にも関わらず外で新聞が普通に読めるくらい、下町の空が真っ赤に染められていたこと。焼夷弾に焼かれて、何人もの同級生が亡くなったこと。空襲で近くに着弾したときは爆風で眼球が飛び出てしまうので、両手で目を押さえること。

疎開先の田舎でグラマンの機銃掃射に追い掛け回されて、一時間も田んぼの間を逃げまわったこと。グラマンのコクピットの米兵の顔までしっかり見えたこと(彼らは戦闘の帰りの冷やかしで遊んでいる)。機銃掃射に遭遇した時は、ランドセルの蓋を頭にかぶせて少しでも頭部を守ること。田んぼの畦を使ってどうやって身を隠すか、ということ。

親父の学校の体育教練に手榴弾投げが加えられたこと。

戦後に結核で亡くなった母の姉が慕っていた海軍の将校さんが特攻で亡くなったこと。その知らせを聞いた姉が布団の中でずっと泣いていたこと。
世話好きの母方の父が町内を取り仕切っていた関係で、時々家に出入りしていた目付きの悪い特高警察が、終戦後復讐を恐れてあっという間に姿を消したこと。

 そんな話を小さい頃にことあるごとに聞かされて育った。当時はそんなことを今の時代に聞かされたって、と思いつつ、同級生に比べて歳がいっている両親にしか語れない話なのだなということと、自分がその環境にいる特別な価値は子供ながら少し理解していた。歳を経るごとにその重みが増して行く。

 両親は幸いなことにまだ顕在だが、それぞれ80を過ぎた。リアルに先の戦争の記憶を語れる人たちはどんどん少なくなっていく。語りたくない記憶もあるかもしれないが、今のうちにせめて聞けるだけの話を聞いておこう。

 毎年終戦記念日を迎えると、そう思う。